鳥取観光
今日、やっと携帯の通信制限が解除されました。長かったです。こんなにサクサク動くのが快適すぎます(笑)
鳥取城に行きました。毛利が、吉川経家を鳥取城主にしました。秀吉は黒田官兵衛の進言で兵糧攻めの作戦をとりました。このため鳥取城内では飢餓地獄に陥り、籠城4ヶ月にして吉川経家はついに開城して自刃しました。
関ケ原の戦い後は、池田長吉が城主となり、 城の中心を久松山の麓に移して大改築を行ない、ほぼ現在の鳥取城が完成しました。
その後、姫路から移ってきて池田光政が城主となり、城下町の整備を行ないますが、外堀を造るために、川を掘ったそうです。
擬宝珠橋、中ノ御門、太鼓御門の復元整備が進められていました。たまたま、擬宝珠橋と太鼓御門の説明会が行われるとのことで、参加してきました。
↓擬宝珠橋は、北九州、室蘭、岩手などいろんな地域から資材を集めて造っていて、あと少しで完成するそうです。
↓太鼓御門は、現在発掘調査をしている最中で、調査をして根固め石が確認できたことで礎石があった位置が特定でき、絵図面と見比べても門の寸法がほぼ一致したそうです。
天守櫓まで登りました。道は整備されていますが、狭いとこが多かったり、さらさらな砂が多くて滑りやすい場所も多かったりして、登るのが怖かったです。降りは特に滑るのを注意して降りれば問題なかったです。途中で、裸足で登る勇者もいました(笑)強靭な足の裏の持ち主なんでしょうね(笑)
↓この井戸は、殿様のために汲むものだそうです。
↓入って最初に見える石垣だけしっかりとあうように作っているそうです。
↓二の丸。池田長吉父子、光政、光仲、綱清、吉泰などの藩主の居舘があった場所です。
↓三階櫓。天守櫓が焼失してからは、この櫓が鳥取城の象徴するものとなりました。
↓菱櫓
↓二の丸の奥にある鳥居から上に登って行きます。
↓天球丸の巻石垣。最初から丸く作ったわけではなく、元々あった石垣が崩れたため、上からかぶせるように作ってできたそうです。天球丸という名前は、若桜鬼ヶ城城主の山崎の妻である天球院がここに住んだことから呼ばれているそうです。
↓本丸までの道のり
↓本丸
↓天守櫓
↓太閤ヶ平は、秀吉が吉川経家が籠城する鳥取城に本陣を置いて、兵糧攻めを行った際に使った場所です。
仁風閣。鳥取藩主である池田仲博が自分の別邸としてこれを建てました。この人は、徳川慶喜の5男として生まれました。
↓支柱がない螺旋階段
たまたま通った道でコナンを推していたので寄ってみました。北栄町は、漫画家・青山剛昌の出身地なんですね。
↓コナン大橋
↓コナンの家 米花商店
↓北栄町役場図書館
↓由良駅・コナン駅
↓タクシー
↓その他
道の駅でたかのさんという日本一周仲間に遭遇しました。出発も市が違うだけで近く、回り方も同じなのにどうして今まで会わなかったんでしょう(笑)不思議で仕方ないです(笑)