日本一周の旅〜カルぺ・ディエム〜

元保育士が、自転車で日本一周します!

北海道観光③

朝は安定の寒さでしたが、日中は昨日より温かくてだいぶマシでした。


土方・啄木浪漫館と食堂マルテンへ行き、その後は移動しました。


土方・啄木浪漫館は、昨日の移動中たまたま見つけて、行くことにしました。

入ってちょうど、石川啄木のシアターが始まるとのことで、そっちを最初に見ることにしました。始まるとすぐに、代用教員時代の石川啄木ロボットが前で動きながら話を進め、映像を上映しました。石川啄木の生涯について説明されていて、わかりやすかったです。


↓2人の略歴


○石川啄木

村人からは神童と騒がれ、気位高く育ちました。そのため、本人も天才を自負する自尊心を持っていたそうです。

中学から石川白蘋のペンネームで文学の道へ。ワーグナーの作品に出会い、創作意欲を掻き立てました。

長い歳月が経ち、処女詩集『あこがれ』を出版し、天才詩人と評価されました。そして、節子と結婚します。

その後、同人文芸誌『紅苜蓿』を発行する苜蓿社の仲間に温かく迎えられました。編集をしているうちに、石川啄木の中に眠っていた短歌への創作意欲が出ますが、その頃は文学で身を立てるつもりでいましたがそう上手くはいかず、代用教員として弥生尋常小学校に務めます。しかし、ストライキに児童を巻き込み、免職。

またその時、橘智恵子に恋心を抱いていました。静かな淡い想いは一方的なので、会話は1ヶ月間で2度だけ。去る頃には、『あこがれ』を贈呈したそうです。

野口雨情がいた函館日日新聞社の記者も務めましたが、箱館大火により新聞社も小学校も焼失してしまいます。

そして、新聞記者生活を続けたり、妻子と母を東京に迎え入れ、後に『一握の砂』や『悲しき玩具』として結実することになりました。

最期は、肺結核により短い人生の幕を閉じました。


○土方歳三

イケメンで女性ファンも多い彼は、実家は大きな農家のお金持ちでしたが、武士に強く憧れを持ち、浪士組として京都に向かいます。

八・一八の政変での浪士隊の活躍が評判となり、幕府から新選組の名をもらえ、正式に京都の治安を守る仕事が与えられました。

新撰組では鬼の副長と恐れられ、局中法度を作り、掟を破った者にはまったく容赦なく切腹させていました。

徳川慶喜の大政奉還により、旧幕府軍の榎本武揚たちに誘われ、開陽丸で蝦夷地へ移動することになります。蝦夷地を攻略するため、旧幕府軍は戦いを繰り返しました。

①函館を制圧し、五稜郭を本拠地にする。

②松前藩に使者を送るも惨殺され、怒って松前城に殴り込み、制圧する。

③諸外国に認められ、函館の独立政権として蝦夷共和国が誕生。

資金には困ったようで、榎本武揚たちは、売春婦から税を取ったり、一本木関門を設けて女子どもからも通行税を取ったりしたため、函館の住民からの評判はよくありませんでした。そんな中、土方歳三だけは住民たちを守ろうと意見したそうです。

④蝦夷共和国を新政府軍は認めず、激戦を繰り返す。(宮古湾での海戦、二股口での戦い、五稜郭での戦い、一本木関門での戦いなど)

記憶が曖昧なのですが、一本木関門へ向かうために、だいぶ遠回りしてから向かったようです。当時、彼も借金をしていて、一つずつ返すために回って歩いたそうです。

⑤旧幕府軍降伏する。


展示資料の多さが理由かもしれませんが、石川啄木の展示は閑散としていたのに対し、土方歳三の方は熱量が半端なかったです(笑)狭い場所にいろいろと詰め込みすぎていて、少し見づらさはありましたが、それだけ見応えはありました。



食堂マルテン。日替わりランチらしく、日によってメニューが違うそうです。今日は、ミニ親子丼とミニたぬきうどんでした。

自分の日本一周の看板を見て話しかけてくれ、唐揚げを頂きました。また、その後のルートやらいろいろと教えてくれました。ありがとうございました。


移動中、咸臨丸終焉の地という場所がありました。沖合で沈没したとされている場所で、今もサラキ岬沖に眠っているようです。


明日は長い上り坂が待っているとのことなので、気合を入れてがんばります。

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