一日ゆったりと
1日雨のため、あまり移動はせずゆったりと過ごしました。
かもめ島と開陽丸記念館へ行きました。
もともと開陽丸記念館には行こうと思っていて、地図で調べていると「弁慶の足跡」というのがかもめ島にあるとのことで、来てみました。
いろいろと観光ポイントはあるようです。
馬岩。義経が残した愛馬が岩になったとされるそうです。真ん中あたりの白い岩です。
瓶子岩。姥が、神からもらった瓶の中の水を海に注ぐと、ニシンの群れが現れ、岩はその壺が逆さになったものだそうです。
途中の横道。奥に行ってみたかったのですが、進入禁止でした…。
これはさすがに人口の穴ですよね。こんな等間隔にきれいにあくなんてあるんですかね?
北前船の係船跡。昔はこの島が江差の港で、その跡が残っていました。海側からの風を防ぐ、自然の防風壁だったようです。
砲台跡。諸外国の船対策として、北にテカエシ台場、南にキネツカ台場が設けられたそうです。
キネツカ台場は、箱館戦争の際、旧幕府軍が新政府軍の軍艦に対して砲撃した場所だそうです。
↑テカエシ台場
↑キネツカ台場とそこから見える景色
千畳敷。波や波によって岩が削られて平らになり、千枚の畳を敷けるほどであることからこう呼ばれています。
ここは、新日本百景にも選ばれているそうですが、この通り、あいにくの天気でした(笑)まぁ天気に関わらず千畳敷はすごいですよ。
弁慶の足跡。ちょっとわかりづらいので、説明板も一緒に載せておきます。雨だからと置いていきましたが、これなら望遠レンズ持っていけばよかったです。
一周回ったあと、馬岩の方に行ける道があるので、そっちにも行くことにしました。
この橋辺りの写真を撮り、ドキドキワクワクで冒険開始です。
橋を渡り、トンネルを通ろうと足を踏み入れた瞬間、突然何か物体が視界に現れ、思わず声に出して驚いてしまいました。正体は、オバケとか見間違いではなく、おじいさんでした(笑)誰もいないと思ってたし、その人、そこから景色を眺めるために立ち止まっていたそうで、物音も何もないのは当然ですが、だいぶびっくりしました(笑)
幸先の悪きスタートでしたが気を取り直して(笑)
所々穴があいていたので見てみましたが、奥までは続いていませんでした。
もう少し進むと、そそられる場所が(笑)入口は、腰を曲げて縮こめてやっと通れるくらいの大きさで、その奥は少し広々としていて、すぐに砂浜に抜けました。
馬岩の方まで行くには、海に進入しながらでないと行けそうになかったので、ここで終了。
上の観光ポイントより楽しかったです(笑)
開陽丸記念館。
幕末期に、ペリーが浦和に来る前にも、何度か外国の船が近くまでやって来ていたそうで、フェートン号事件以来、異国船打払令を発布する一因となり、また、日本は諸外国に対抗するために、オランダ政府に軍艦建造をお願いしました。そして、造船技術や航海技術などを学ぶために、榎本武揚含む留学生はオランダに行くことになりました。ちなみに着いたのは、10ヶ月もかかったそうです。
やっとのことで開陽丸が完成し、日本に帰ってきましたが、幕府の存続もままならない状況にあり、その4ヶ月後に大政奉還したそうです。
そこから以前も書いた通り、榎本武揚たちは蝦夷地へ向かい、箱館戦争へとつながっていきます。
最終的に、江差をなんなく旧幕府軍が占領するも、沖にて暴風雪のため座礁し、数日後にに沈没してしまいました。
ここの注意喚起の書き方がおもしろかったです。
少しやむことがありつつ、ほとんど1日雨が降っていましたが、今日は思ったほど寒くありませんでした。明日は晴れるようなので、たくさん移動したいと思います。