悔いの残らないように
日中はすごい暑いのに、朝方はまだまだ肌寒いことが多くあります。寝るときの服装などが難しいですね。
福井県に入りました。
そして、東尋坊まで向かいます。ほとんど平坦な道でしたが、東尋坊付近だけ少しアップダウンがある程度でした。
着いてから東尋坊セットで、ソースカツ丼とおろしそばを食べました。
あれ、めちゃくちゃブレブレでした(笑)
いよいよ、自殺の名所としても知られる東尋坊です。
今から1200~1300万年前にマグマが堆積岩の中に貫入して冷え固まった時に出来た柱状節理です。ちなみに、六角形の形をしているのが大きな特徴だそうです。
どうせなので先まで行ってきました。天気もよく、海も穏やかでしたが、先まで行くと迫力が違いました。何が一番怖かったかという、戻るために振り返る時です。
↓雄島です。
丸岡城、霞ヶ城の天守閣は、現存するものの中で日本最古です。
天守の中は三階建てになっていて、その階段がえげつない角度でした(笑)これから行く人は覚悟した方がいいですよ。
『お静の涙雨』という逸話がありました。
初代城主柴田勝豊が丸岡城築城の際、天守閣の石垣が何度も崩れるので人柱を入れることになりました。そこで、子をかかえて苦しい生活をしていたお静が、子を侍にしてもらうを条件に人柱となりました。
その後、丸岡城は無事完成しましたが、柴田勝豊は近江長浜へ移ることとなり、結局、お静の子は侍にはしてもらえませんでした。
それから、田植えの準備の頃になると、堀から水があふれるほど雨が降るようになり、人々はこれを「お静の涙雨」と呼ぶようになりました。
日本一短い手紙の館はお城と資料館との共通券だったので、行くことにしました。
日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
この手紙は、徳川家康の忠臣・本多作左衛門重次が、長篠の合戦での陣中から妻に宛てて送ったものです。短い文章の中に大事なことが詰まっています。この「お仙」とは、後の初代丸岡藩主になる本多成重の幼名・仙千代のことです。ちなみに原文は、「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」だそうです。
館内には全国から募集した作品が展示されていました。時間がなかったので、急ぎ早に一つひとつ読んだのですが、笑ってしまうものやジーンとくるものなど、短い中に気持ちが込められていました。
そして資料館にも行くと時間はあと少しで17時。明日以降の予定を考えたのですが、行くか諦めるか20分くらい迷っていました。
いつ死んでもいいように、精一杯生きる。この前、先生に教えてもらったことを思い出しました。
いつか行こうと思って、もし仮に明日死んだら悔いが残る。いつ何が起こるかわからないんだから、体力、やる気、恥じらいなどを理由に後回しにするのはバカらしいですね。
いつかやろうじゃなくて、一度だけの、自分の人生なんだから、思ったようにやればいい。やらないで後悔するより、やって後悔する方がよっぽどマシで、次に活かせますもんね。今できることは悔いの残らないようにやる方がいいなってことで、明日行くことにしました。そのために、今日のうちに近場まで移動しました。
そうそう、細かく曲がらなきゃいけない道で、ポケット内で音声案内を聞いても、車が通ると全く聞こえなくなるので、こういうのを百均で買ってみました。元々ハンドルに携帯を固定できるものは持っていたのですが家に置いてきたんです。でも、これだと携帯だけでなく、ペットボトルも入れられるから便利だなと。