あれ、山登りが多いなぁ
出発の準備をしていると、これやるよ!とトマトを頂きました。とってもありがたいんですけどね、トマト苦手なんです...(笑)まぁ食べましたけど。
小谷城に行きました。まずは資料館に入ろうと思ったら、おやすみ...。
小谷城は、日本五大山城の一つで、浅井家の居城です。また山登りをしてきました。
ここで起こった小谷城の戦いは、姉川の戦いの後に続きます。
浅井の家臣たちが織田に寝返り、ここで昨日行った虎御前山城に織田軍が布陣します。
浅井の援軍に来た朝倉をも一乗谷の戦いで破り、朝倉を滅ぼしてしまいました。
一乗谷から戻ってくると、総攻撃を仕掛けられ、浅井長政と久政親子は自刃します。
↓ここからが入口なのですが、こういう扉、ゲームの世界みたいですね。
↓番所あたりまでのはじめの登りはキツかくて、ふくらはぎがパンパンになりかけるくらいでした。
でも、本丸まで30分、山王丸まで10分で着きました。小谷城が終わり、せっかくなので山頂の大嶽城まで行きました。ここまでちゃんと整備されてる道が多いから比較的楽に登ることができ、山頂までは20分で登りきれました。
↓途中で虎御前山が見えます。
↓本丸跡。
↓京極丸跡は、京極氏の屋敷。小谷城の戦いでは、本丸と小丸の間にあるこの京極丸が、秀吉によって先に落とされました。
↓小丸跡は、引退した二代城主・久政の住居。
↓山王丸跡は、小谷城の詰の丸。
↓大嶽城跡は、初代亮政が築城
帰ろうと思ったら、あれ、道が...笑
危うく間違えるところでした。
帰り道は、福寿城と山崎城の方から降っていきます。下山は小道が多く、行きほど整備はされていません。
↓こんな道も多くありました。
↓福寿城跡。ここまで20分。
↓山崎城跡。ここまで10分。
↓そして5分歩いてやっと出口です。
ブヨはというと、やっぱり集まるけど、蚊取り線香のお陰と、まだ日中ってこともあってか、数匹しか集まりませんでした。とりあえずよかったです。
あと、何が一番キツかったって、直射日光が当たる場所が多いから暑いんですよ。木が日を遮ってくれてないんです。
行った順に書いているので、歴史とは前後してしまいますが、姉川古戦場も近くにあります。辺りを巡ってきました。
信長は、金ヶ崎で浅井長政に裏切られたことに怒り、軍を整えなおした信長は報復戦にうって出ます。
激戦の中、家康の功績を残し、織田軍が勝利しました。
↓姉川古戦場跡。
↓姉川。
↓血川。織田軍と浅井軍との戦いで、川が戦死者の血で染まったことからそう呼ばれたそうです。
↓浅井長政の本陣跡です。
↓血原。徳川軍と朝倉軍の決戦の地となった場所で、多くの戦死者の血で染まったことから、血原と呼ばれています。
↓三田村館跡。浅井家や京極家の家臣だった三田村氏の館跡です。
↓七十士の墓。姉川の戦いで戦死者を葬った場所に建てられた石塔群です。
↓龍ヶ鼻の曲輪跡。姉川の戦い前に、信長や家康が本陣を敷いた曲輪です。戦っていくうちに、下の場所に移ったそうです。
↓信長本陣跡(陣杭の柳)。
↓家康本陣跡(岡山)。当時は岡山と言ったようですが、姉川の戦いに勝利したことで、勝山に変わったそうです。この樹木に、家康が願い事をしたそうです。
↓遠藤直経の墓。浅井長政の家臣であり、姉川の戦い時に、自軍の敗色が濃くなると敵軍に偽装して、味方の武将首を持って信長の陣中深く忍び込みました。しかし、竹中重矩(半兵衛の弟)に見破られ、討ち死にしたと言われています。
↓上坂館跡。浅井家や京極家の家臣だった上坂氏の館跡です。
コンビニに寄ると、飲み物をいただきました。ありがとうございます。
お店探していて、お兄さん2人に話しかけてくれ、お金の支援をしてくれました。ありがとうございます。
↓近江牛の丼を食べました。
↓お通しです。これ琵琶湖で育った鮎だそうで、純粋な琵琶湖育ちはこのくらいの大きさにしかならないらしいそうです。
↓近江鶏の焼き鳥(むね、砂肝)
↓金亀
↓飲み比べ(①奥琵琶湖②七本槍③六瓢箪)
近くに座っていた方がたくさん話しかけてくれて、歴史のことで盛り上がりました(笑)