また集結
みんなで6時出発。最近は前日に観光したい場所の近くまで進んでいることが多く、そこが開館するまで待機していると、結局出発が遅くなり、怠けてしまうことが多かったので、こんな早くに出るなんて久しぶりでした。
今日の道のりはアップダウンが多かったのですが、割合好きな道のりだったこともあり、どんどん進めました。
85kmを過ぎたところにあった道の駅を通りかかる時に、なーんか見たことある人がいるなー、変な動きでこっちにアピールしてるなーと思い、寄ってみました。案の定、朝別れたはずの徒歩&ヒッチハイクの方で、先を越されてました(笑)
2人で話していると、北九州からバイクで来た人もやって来ました。この方のことは昨日のブログには書きませんでしたが、同じ寝床で寝ていた方なんです。
そしてさらに話していると、サークルで旅をしている方がやって来ました。
残念ながら、縦断の方は北上して行ったので集まれませんが、4人も揃っちゃいました。待ち合わせなんかしてないのに過ごすぎですよね(笑)
飲み物頂きました。ありがとうございます。
バイクの方が先に出て3人になり、川で少しだけ遊びました。
うずめ飯とコーヒーセットを食べました。
森鴎外記念館に行きました。森鴎外は、近代日本文学を代表する作家の一人です。津和野藩の典医を務める森家の長男として生まれました。
10歳の時に父と上京し、ドイツ語を学び、東京大学予科に最年少で入学。大学では医学を学び、卒業後軍医となりました。その後、軍の衛生学の調査及び研究のためドイツへ留学しました。
帰国後は軍医をやりつつ、医学・文学の評論や小説・戯曲の翻訳、ヨーロッパ文学の紹介などを行っていました。
陸軍軍医総監・陸軍省医務局長に就任、陸軍を退職してからは、帝室博物館総長兼図書頭の職に就きました。
↓森鴎外旧宅です。
↓西周旧宅です。この人も、津和野藩の典医を務める家柄出身で、森鴎外とも親戚です。
榎本武揚たちと一緒にオランダに留学、慶喜の側近、王政復古の後、徳川家によって開設された沼津兵学校の校長となりました、また、芸術・哲学・技術・知識などの訳語も生み出した人でもあります。
津和野城に登ってきました。吉見、坂崎、亀井が城主として在城していました。11代当主・吉見正頼の時には、陶晴賢の大軍をこの城で迎えうち防戦し持ちこたえると、やがて晴賢は滅亡します。中国地方が毛利の支配になると吉見は毛利の重臣となりました。
↓登山口
↓こんなルートです。
↓ちなみにリフトでも登れます。
↓反対側は工事中でした。
↓あと少しで本丸です。
↓馬立、台所、海老櫓
↓天守台
↓三十間台
↓太鼓丸
↓上からの景色
↓三の丸
太鼓谷稲成神社
温泉を奢っていただきました。休憩所があって、入浴後の畳とクーラーの組み合わせは動けなくなりますね(笑)
島根ワインを飲みました。
夜中、寒くて久しぶりに寝袋にくるまって空を見上げると、満天の星空でした。きれい過ぎて見入っていると、流れ星!初めて見ましたよ〜。嬉しい。でも、願い事なんて到底3回も言えないですね(笑)