福島観光
昨日一日ぐーたらしていたので朝が辛かったです(笑)本当は、早めに起きて~とか思ってたんですけど、眠気に負けてしまいました…。結局、鶴ヶ城の開く時間ちょうどに着けるくらいの配分で行動しました。
しかし、昨日できなかった分、今日は存分に観光楽しみました。鶴ヶ城(若松城)→麟閣→御薬園→野口英世青春通り(洗礼の地、末廣酒造嘉永蔵など)→飯盛山→白虎隊記念館→会津武家屋敷。こう文字に起こしてみると、本当にたくさんのところに行けたので、自分でも驚きです。
鶴ヶ城は、なんかはじめての気がしないような作りでしたが、さすがにどこかしらと被っているんでしょう。
見どころもあり歴史の流れが目まぐるしく、盛りだくさんでした。また、ちょうど戊辰戦争から150年ということもあって、力を入れていたんだと思います。
天守閣の5層からは、白虎隊が自刃した飯盛山も(後ろにある大きな山と被っていますが、真ん中辺りにあります)見ることができました。眺めも最高です。
ふと携帯を見て、2時間いたと知った時には絶句しました…。予定では1時間くらいのはずがゆっくりしすぎました。
麟閣は、蒲生氏郷が、千利休の子である千少庵を茶道振興のため滞在させていたときに建てた茶室。こういうところで気持ちを落ち着かせて、好きなことをすると時間を忘れそうですね。
作り物かと思うほどきれいに咲いていました。
御薬園は、蘆名盛久が別荘として建て、後に保科正経が領民を疫病から救うために園内に薬草園を作り、いろいろな薬草の栽培が行われていたことから名付けられたそうです。
来てみて、やっぱり時期って大切だなぁと。
辺りを散策していたら、日新館跡を発見しました。
昼食です。ソースカツ丼。
野口英世青春通りでは、地図看板にいろいろ説明書きがあったのですが、正直なところちょろっとあるだけでした。広場には銅像。洗礼の地もただ名前の看板があるだけ。
でも、最後に行った末廣酒造は、時間帯で内部を回りながら説明してくれ、これはよかったです。最後に通さた大広間には、松平容保、徳川慶喜、野口英世の書が掲げられていて、思わぬ形で偉人の足跡に触れられました。
↑松平容保
↑徳川慶喜
↑野口英世
飯盛山と白虎隊記念館は、白虎隊の歴史が多く記されていました。
白虎隊の自刃…。第三者に立っているからこそだと思いますが、なんで?って思っちゃいました。でも、敵から追われていて、生死を争っている中、冷静な判断ができるのだろうか。頼りの鶴ヶ城が燃えて落城しているように見えたら、そんな結末になるのも仕方ないのかもなとも。でもやっぱり、災難だった、と思ってしまいます(こんな一言で終わらせていいようなことではありませんが…)。
一命を取り留めた飯沼貞吉も、多くは語らなかったと書いてあったが、語らなかったんじゃなくて、語れなかったんだと感じました。辛い過去であり、あの時の光景が見間違いだなんて自刃した19名のことを思うと悔やまれないだろうし…。こう言っては申し訳ないが、命を救われて、嬉しく感じたのだろうか…?なぜ自分だけ?なんて自分を責めてもおかしくないですよね。
↑さざえ堂。江戸時代の庶民は、お金も時間もなく、なかなか参拝で巡れなかったのですが、その夢を叶えるべくでき、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができると言われたそうです(これも聞き耳立てたガイドさん情報です)。いや、それにしても高かったです(笑)
会津武家屋敷は、西郷頼母の屋敷や旧中畑陣屋、数寄屋風茶室、藩米精米所などが集まった場所です。
見学していて、西郷四郎が西郷頼母の養子であったことにとても驚きました。西郷四郎と言えば、講道館四天王の一人、山嵐の使い手、姿三四郎のモデルとして有名なので、ここでつながるかと、やっぱり歴史は奥が深くておもしろい。
↑黄色い桜。調べたらウコンザクラと言うそうです。
そういえば、今日は全体的に観光ツアーの団体さんが多かったです。閑散とせず賑やかで、ガイドさんからの情報が時折聞こえてくるのでいい点もあるのですが、自分のタイミングでゆったりと見れる方が自分に合ってるんだと感じました。
そして、観光する場所が多かったのは嬉しいのですが、写真を撮りすぎました。600枚以上撮っていて、選ぶのと整理するのでだいぶ時間がかかってしまいました。