日本一周の旅〜カルぺ・ディエム〜

元保育士が、自転車で日本一周します!

出発から半年

友達に言われて気づいたのですが、旅に出て今日で半年が経ちました。未だに、つい最近出発したような感覚があるんですけどね(笑)それだけ充実してるってことでもあるし、ここまで来れたのも周りの方の助けのおかげなんだなってすごい思います。最後まで無事に終わらせます。


原爆ドーム→原爆死没者慰霊碑→広島城→吉田郡山城に行きました。



朝一で自転車を走らせ、背の高い建物を抜けていくと、剥き出しにされた鉄骨が急に視界に入ってきました。原爆ドームです。一瞬で空気感が変わったというか、まるで戦争の爪痕が時間を止めて残っているような場所でした。元々は、広島県物産陳列館だった建物で、日本初のバウムクーヘンの製造販売が行われていました。原爆の投下により、建物は一瞬にして崩壊し、中にいた30人余りの人々は全員死亡したと伝えられています。戦争を体験した方が少なくなっていく中、残された負の遺産を残していくことで、二度とこのようなことが起きないように、戦争を忘れないようにしていきたいですね。

↓原爆死没者慰霊碑です。慰霊碑の近くにいると、前で立ち止まり静かに手を合わせて行く人たちの姿がとても印象的でした。



広島城は、戦が少なくなってきて初期にできた近世城郭です。吉田郡山城主であった毛利輝元が、秀吉の招きに応じて小早川隆景や吉川広家たちと上洛し、大坂城・聚楽第にも訪れ、近世城郭の重要性を目の当たりにしたことで郡山城がすでに時代遅れであることを悟り、新しい城造りとして広島城を築城しました。名古屋城や岡山城と並んで日本三大平城に数えられ、広大な敷地だったそうです。
↓表御門

↓左から平櫓・多門櫓・太鼓櫓

↓平櫓内部は、木(ヒノキだったかな?)のいい香りが部屋に充満していました。

↓多聞櫓内部

↓狭間とフタ

↓太鼓櫓内部

↓二の丸跡

↓天守閣


なんとなく移動する気持ちが切れてしまったので、ベンチに座って休憩していると、おじさんが話しかけてくれ、お菓子を頂きました。



十分に休憩してから吉田郡山城跡に行きました。ここは中国地方最大級の山城で、毛利元就が本城としていました。元就は嶝と呼ばれた山頂で暮らし、城内には主要な家臣が配置されていました。本拠を広島城に移した後も郡山城は維持されていたと考えられますが、関ヶ原合戦後、毛利の防長転封により廃城となりました。

↓尾崎丸

↓勢溜の壇跡

↓勢溜の壇にあったこれ、絶対誰かやりましたね(笑)

↓御蔵屋敷跡

↓御蔵屋敷跡の東側には、石が散乱していました。一国一城令でここも破壊されたんですかね。

↓そこから少し歩くと、小さな石積みが残っていました。また、奥には土塁跡もありました。

↓三の丸石垣跡

↓三の丸跡

↓二の丸跡

↓本丸跡



寝床まで走っていると、一台の車が速度を緩めて来たので邪魔なのかなって思い端に避けると、窓を1/4だけ開けてきておばあちゃんに声かけられたんです。そしてすぐに「盗んだ自転車で走ってる人がいた😄ふふふふ😄」って去って行ったんです…。え、なんだったの(笑)急すぎて「やばい!!!バレた!!!逃げきゃ!!!」ってやりそびれてしまいました(笑)


その後も、他の車が端に止めて「もしかして(樋田容疑者と)一緒に走ってた人?」ってヒソヒソ話風に声かけられ、違うことを伝えたら残念がられたんです。まぁせっかく話しかけてくれたから、半年記念日ということもあって何かおいしいものを食べたかったので、その人に教えてもらったお店に行くことにしました。


あ、ちなみに、樋田容疑者が捕まった日の前日に、そこから10㎞ちょっとの場所を寝床にしていました。捕まった日は雨だったので、彼らは停滞していたのかもしれません。前日の時間帯によってはその場所まで進むことができたので、彼らと同じ場所に寝床を構えていたかもしれないし、もしかしたら事情聴取を受けていたかもしれないと思うと恐ろしいですね。

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