やっと宮城入り
今回は原発や放射線についても、深くは突っ込みませんでしたが、通り道や少し外れたところを見学しました。その時のことを思い出したくない方もいると思いますし、(あまり大したことは書きませんが)自分の文章の書き方で気に触ることもあるかと思いますので、一番最後に書きます。また、その文章を書く前に、
↓ここから原発や放射線について書きます
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と記すので、見たくない方は飛ばしてください。よろしくお願いします。
今日は霞ヶ城(二本松城)→なみえ焼そば→福島駅で移動しました。
霞ヶ城は平山城で、山の上にありました。こりゃあ攻めるのは大変です。今日は暑さもあったから、受付の時に貰ったお茶がなかったらと思うと…危なかったです。
攻めるといえば、伊達政宗もこの城を攻めたそうです。城主二本松義継は政宗の攻撃を受けて降伏し、輝宗のもとに出向きました。しかし、輝宗を拉致して二本松城へ連れ去ろうとし、これを聞きつけた政宗は、義継を討ち取るも、輝宗も射殺してしまいます。政宗はすぐに二本松城攻めを開始しましたが、籠城され、援軍の佐竹義重と相馬義胤たちが加勢したこともあり、政宗を撃退します(人取橋の戦い)。度々の進軍で、途中から内通者が出たこともあり、二本松氏は滅亡しました。
↑その人取橋の戦い跡が、郡山から向かう途中にありました。
↑少年隊と、我が子を思い家紋の肩印を縫いつける母の像です。
↑来る途中に大壇口古戦場跡があり、木村銃太郎隊長をはじめ、二勇士の碑がありました。
↑洗心亭
↑笠松
↑日本三井戸の一つである日影の井戸です。日本三井戸なんてあるんですね。
B級グルメのなみえ焼そばがあると受付で教えてもらい、食べました。2人前のものを注文し、ボリューミーでおいしかったです。
坂の多い道を超え、福島駅に着きました。
宮城に向かう途中、その時が16時半だったからよかったのですが、道に街灯がひとつもなく、木や竹林に囲まれてる狭い道も多く、抜けるまでも長い…。暗くなっていたらまずかったです。暗くなる前に抜けられてよかったです。
そしてようやく、宮城県に入ることができました。
気づけば97km走っていました。残り3km適当に移動しようかとも思ったのですが、ちょうどいい感じで寝床を見つけたのでやめました。
100km近く走ったのにあまり疲れを感じませんでした。と書いているそばから寝落ちしてました(笑)疲れは出ていたんですね…。
↓ここから原発や放射線について書きます。見たくない方は飛ばしてください。よろしくお願いします。
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多大な被害を出した東日本大震災と津波、放射線の事故…。神奈川はというと、あの日、大きく揺れ、物が落ちたり建物にヒビが入ったり…ほとんどがその程度で済みました。復興などにもさほど時間がかからずでしたが、また、被災地の状況はテレビでは見るものの、正直、目を逸らそうとしていたのかもしれません。
震災から7年が経ち、未だにその痕跡が残っていました。たまたま話しかけてくれた方が教えてくれたこともあり、中には、放射能のことは何も気にせず、そこら辺の山菜とか取って食べてる、という方もいました。
↑工事している場所です。
↑汚染された土の入った袋です。ここだけでなく、集められた袋が何ヶ所かにズラーッと並んで置かれていした。
↑緊急仮設住宅跡地です。今はもうここには誰も住んでいないので、撤収しているそうです。
サイクリングロードを通った時には、阿武隈川も汚染工事をしていました。また、おそらく田畑も掘り返したことで、少し荒れているような感じでした。
避難解除されている場所とはいえ、まだまだ工事しているところも多く、場所によっては袋もたくさん積まれていました。
原子炉付近では、今もなお入れない場所や車だけしか通れないところも広い範囲でありました。早く復興することを願いたいですね。