日本一周の旅〜カルぺ・ディエム〜

元保育士が、自転車で日本一周します!

寄り道しながら移動

青森に入るため長距離移動ですが、夕方から雨が降るという予報なので早めに出発。朝から寒かったのですが、山道だと思っていたので暑くなるだろうと思って薄着でいました。そしたらアップダウンはあるものの基本下りで、進む分には楽だったんですけど、服装失敗しました(笑)


今日は移動しかしない予定でしたが、見つけたものを寄り道をしつつになりました。九戸城→三戸城です。


最初の九戸城跡でいろいろ教えてもらいました。

九戸城は、秀吉の天下統一最後の戦場だそうです。小田原攻めの一年後にあったらしい。

当時、南部は、南部信直と九戸政実の二大勢力が対立していました。南部信直は、秀吉に本家であることを認めてもらい、九戸政実は謀反人となり、九戸征伐と称して全国に出動命令を出されました。

そこには、豊臣秀次、徳川家康、伊達政宗、石田三成、蒲生氏郷、上杉景勝、浅野長政、井伊直政など、有名な戦国武将がたくさん出陣していました。

戦いがはじまり、九戸政実側はだいぶ戦力差はありましたが、難攻不落と言われるほどよく戦っていました。

秀吉側は、和睦交渉をしようと九戸の菩提寺である長興寺の和尚を使者にたてました。持たせた手紙の中で、政実の武勇を讃え、人々の助命を条件に降伏を説得しました。

謀略とは知らない和尚であり、南部信直もまた、一人でも多くの人を救おうと和睦に応じ開城しました。しかし、城は焼かれ、皆殺しにされてしまいました。そして、九戸政実と重臣は豊臣秀次に三ノ迫で斬首されました。和尚の気持ちもそうだし、秀吉はそれだけの威厳を見せなきゃいけないのかもしれないけど、そこまでやるかと。

九戸城の近くにある岩谷観音堂には、九戸政実や戦没者の建立碑がありました。この観音堂のご開帳は100年に1度のみだそうです。

↑これは岩が崩れ落ちてきたんですかね…?


岩手と青森には、一戸、二戸、三戸と続いて九戸までありますが、そもそもこの名前になった理由は、九戸四門制により、一から九までの番号をふってそれぞれに牧場を置くことからついたそうです。

四戸という地名は今はないようですが、縁起的にだったり長細く管理がしづらかったりと、理由があるそうです。

ちなみに、金田一温泉の裏山に四戸城跡があり、橋や店名で残ってるとこもあるそうです。そして、十は十和田かもしれないし、一番奥が奥戸かもしれないとのこと。


そして、青森県入り。

そういえば、青森に向かう途中に金田一温泉というものがあり、これはなにか事件の匂いが…なんて考えていたら、読み方は「金た一」なんですね(笑)惜しい(笑)


三戸城は、標高120mの高さで、キツめの坂を一気に登って到着しました(笑)

ここは、南部晴政によって築かれた城。南部晴政は素行が悪く、周囲からの評判も良くなかったそうです。ちなみに本丸跡の周りには、たくさんの家臣の家跡に囲まれていました。


日本鹿もいました。


八戸に行く頃には霧がかかってきていました。


無事到着して、晩酌。

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