青森観光
太宰治の銅像と文学碑。
ここに、6/19の誕生日になるとファンが集まるそうで、今年600人ほど集まったようです。
ちなみに遺体が6/19に三鷹で見つかったので、桜桃忌(しのぶ会)もあるようです。
通りがけに、明治高等小学校跡がありました。ここは、太宰治が尋常小学校を優秀な成績で卒業したことで、地域実力者の息子に対する配慮と判断した父が、学力補充のために通わせた学校です。
思い出広場。ここを通って通学していたんじゃないか、とのことで、太宰治の作品名のプレートが壁にはめ込まれていました。
太宰治記念館「斜陽館」。
ここは、県で4番目の大地主であった太宰治の父・津島源右衛門の建てた家です。父の死後、家督を継いだのは長男であり、太宰治は非合法の左翼活動や心中騒ぎなどを繰り返したために家の顔に泥を塗ったとして勘当され、十数年故郷に帰れなかったようです。
時が経ち、斜陽館は農地改革によって津島家の手を離れて旅館になり、その後記念館となっているようです。
館内のスタッフさんとお話をさせてもらい、わざわざブログに上げてくれました。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1074612/1097647/121384966
太宰治疎開の家・旧津島家新座敷は、太宰の兄夫婦の新居として建てられた津島家の離れです。
太宰治は、終戦を迎える1年3ヶ月をここで暮らしました。
太宰治が執筆のために使っていた六畳間。ここで23作品を手がけたそうです。↓
ガイドをしてもらったのですが、話がわかりやすくて、もっと読んでみたいと思いました。人間失格や斜陽からくる、暗い、ネガティブ、ナルシストのイメージも払拭されつつあります(笑)
弘前城へ行きました。津軽統一を成し遂げた津軽為信が建築を計画を、2代目の津軽信枚が1年で築いた居城。お金も時間もないとのことで、いらなくなった城をリサイクルして建てられたそうです。そのため、この城で一日 度も戦ってないのに傷跡が残っているそうです。
↑外濠
↑丑寅櫓
↑内濠
↑本丸
↑現在は、天守の位置を移動させ、石垣の工事をしていました。
堀越城跡。津軽為信が津軽統治の拠点として築かれました。
↑本丸跡
↑本丸御殿広間跡
↑ここは、まだまだ工事途中のようです。
どこまで足を伸ばそうか迷い、調べるために1回座ったら眠くなっちゃったので、ここでおしまい(笑)