日本一周の旅〜カルぺ・ディエム〜

元保育士が、自転車で日本一周します!

大阪観光

朝一で山登り予定だったのですが、若干雨がポツポツ...。少し待機することに。結局2時間待ちぼうけになりましたが、地元の方曰く、上の方では強めに降っていたようなので、ここまでらまってよかったです。


千早城は楠木正成が建てたお城で、金剛山一帯に赤坂城や楠木城などを置き、城塞群を築きました。

ここでは後醍醐天皇と鎌倉幕府の戦いである、千早城の戦いが起こりました。鎌倉幕府軍は20万で進軍を開始し、赤坂城が落城。楠木城は1ヶ月の籠城戦を行ったが水を絶たれて落城。

残すは1000人ほどが籠城する千早城のみでしたが、籠城は長期に渡り、幕府軍が千早城を攻めている間に、新田義貞が挙兵し鎌倉幕府は滅亡しました。

↓赤阪城


登山はというと、朝いた場所から自転車で10km上り、1時間かからないくらいで着きました。そこから歩いての登山です。途中までは金剛山の登山ルートと一緒で、5分登りました。右手に千早城の入口が見えます。ここから一周して戻ってくるまで20分かからないくらいでした。

↓金剛山と一緒の入口

↓千早城の入口

↓四の丸

↓三の丸

↓二の丸、千早神社

↓本丸


降りてから、しいたけそばを頂きました。


大阪市街に行こうと自転車を走らせていると、何やら変な形をした塔が見えてきたので、地元の人に聞いてみると、ピエロの塔...?!近くまで行ってみることにしました。でも入口がどこかわからず、周りからパシャリ。地図で名前を見てみると、平和祈念塔とのことです。そして、ピエロではなく、PLの塔でした(笑)


日本一高層ビルである、あべのハルカスです。


四天王寺は、聖徳太子が建立したお寺と言われており、日本仏法最初の官寺で、和宗総本山です。

↓聖徳太子を祀っている太子殿

↓石舞台

↓五重塔

↓金堂


自転車屋に寄ると、いろいろ教えてもらい、いろいろ頂きました。

そして、看板も変えられました(笑)


たまたま住吉大社でお祭りをやっているようで、見に行きました。

駐輪場に止めると、警備員さんから、見とくんで大丈夫ですよ!と。嬉しい。安心して楽しめます。

まずは住吉大社の見学。住吉神社の総本宮です。

↓角鳥居

↓太鼓橋

↓神馬


第一本宮~第三本宮は一本線に並んでいて、第四本宮は第三本宮の横に配置されていました。

↓第一本宮

↓第二本宮

↓第三本宮、第四本宮

↓五所御前で、垣内の玉砂利から五大力の石を探そうと思っていたのですが、お祭り中は取ってはいけないようでした。

↓お祭りのため、神輿が展示されていたり、踊りもやるようでした。

さぁ屋台で何か食べようと思います。しかし、何がいいか選んでるだけでお腹いっぱいになるタイプなので、結局はしまきだけしか買いませんでした(笑)


新世界へ。

↓通天閣

↓ビリケンさんもたくさんいました(笑)

↓串カツを食べました。そして一人で飲み放題(笑)

舐めてた

台風の影響で夜中に豪雨になり、コンビニくらいの広さの小屋に避難していたのですが、風に流れて雨が入ってきました。台風を舐めてました。 本当に大きい場所だから安心していたのですが、濡れるし寒いしであまり寝付けずでした。

また、通信制限のせいで全然ブログがアップできず、でもそのお陰で昼までのんびりできたからまぁこれもいいですね(笑)


朝、自販の補充をしている方から頂きました。ありがとうございます。


ようやく大阪入りです。意外と時間かかってました。


大坂夏の陣・道明寺の戦いの記念碑がありました。大坂夏の陣は、家康の天下統一最後の仕上げであり、豊臣家が最後の意地を見せた戦いです。

いろいろな戦いが繰り広げられ、その中の一つである、道明寺の戦いです。大和(奈良県)から攻めてきた伊達政宗らの徳川軍と、豊臣家の後藤又兵衛、真田幸村らによる戦い。豊臣家は後藤又兵衛が戦死した後、真田幸村の奮戦によって大坂城へ退却しました。

各戦いの末、秀頼と母である淀殿、側近は自害し、戦国時代に休止符を打ちました。


道明寺、道明寺天満宮、天寿殿も近かったので行きました。

↓道明寺。聖徳太子が,地元の豪族土師氏から土地を譲り受け,そこに土師寺を建立したことから始まります。後に、道明寺という名は藤原道真の号「道明」から採ったそうです。また、本尊の十一面観音立像も藤原道真の作だそうです。

↓道明寺天満宮。藤原道真のゆかりの神社です。

↓天寿殿

↓登り窯。この付近で発見されたようです。


そして、千早城に先に行くか、帰りに行くか迷ったのですが、先に行くことにしました。山登りのため、近場まで行って明日に向けて待機します。

奈良観光

昨日のおじさんが朝一で来てくれ、高松塚古墳と壁画館、中尾山古墳を案内してくれました。

高松塚古墳は、ここから出土品が有名で、色鮮やかな状態で見つかった西壁の女子群像は、歴史の教科書などにも紹介されています。

中尾山古墳は、八角形の古墳で、内部に切石を精巧に組合せた石槨があるようです。皇族の墳墓のようですが、誰かは特定されていません。


橘寺は、聖徳太子誕生の地と言われています。

↓聖徳太子の愛馬

↓本堂・太子殿

↓基礎石。

↓二面石。一つの石に善と悪の二つの顔をもつ謎の石造物です。

↓右の善

↓左の悪


石舞台古墳では、ガイドさんに少しだけ説明してもらいました。

元々は、土に埋まっている古墳だったのですが、風雨によって土が流され、露出したそうです。巨石30個を積み上げて造られた石室古墳で、付近に蘇我馬子の庭園があったことから、馬子の墓ではないかとの説が有力だそうです。

全部で約2300トンあるこの岩を、どうやって積み上げたのか考えた末、↓このやり方で造っていったと考えているそうです。

石室の中にあったものは盗掘されていたそうです。そのため、破片などから推測し、石棺のレプリカがありました。


キトラ古墳では、方角の守護神「四神」、獣頭人身の「十二支像」、東アジア最古とされる「天文図」の壁画が見つかった場所です。

タイミングよく壁画の公開をしていて、公開が定員制で事前の申し込みが必要ということですが、空きがあり見学することができました。

朱雀と午を見ることができ、午は泥に転写されていて、朱色が鮮明に残っていました。


安倍文殊院は、三人寄れば文殊の知恵で知られる場所、安倍一族の発祥の地、安倍仲麻呂や安倍晴明が誕生した場所でもあります。

↓本堂

↓金閣浮御堂(仲麻呂堂)は、肌守りとおさめ札というものをもらい、七参りという、御百度参りと似たようなことをしました。全く知らずだったので、戸惑いながらもやってみました(笑)

↓安倍晴明堂は、天文観測の地で、お願いしながら玉を撫でるといいようです。

↓西古墳は、寺の創建者のお墓のようです。

↓吉野くず入り落雁と抹茶を頂きました。


藤原京は、日本初の計画都市で、日本が律令国家として歩むきっかけとなる都です。後に、ここから平城京に移っていきます。

↓看板側が大極殿があった場所で、赤い柱が院閤門。

↓朝堂院

↓東門、南門、西門

↓近くに咲いていました。