日本一周の旅〜カルぺ・ディエム〜

元保育士が、自転車で日本一周します!

キツい

朝は、ロードに乗ってる方たちに話しかけてもらい、少し談話を楽しみました。記念にみんなで写真を撮り、お金を支援まで...ありがとうございます。


普通のよりも酸っぱいという福井梅のおにぎりを食べてから出発。


一乗谷朝倉氏遺跡に行きました。国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)を受ける場所です。


朝倉氏は、但馬国(今の兵庫)を拠点としていた豪族でしたが、新田義貞などの南朝方を打ち破ったことで越前に領地を得ました。その後、朝倉氏五代が103年間にわたって越前を支配しました。


↓復原街並

↓酔象と太子の駒

↓正門とも言える唐門です。一つの門に、朝倉の「三ツ木瓜」の紋と豊臣の「五三の桐」が刻まれていました。

↓朝倉義景館と館庭園

↓朝倉義景の墓

↓湯殿跡庭園

↓諏訪館跡庭園


この暑さで長距離を走って滋賀入りはさすがに無謀そうだったので、予定変更して急遽登山しました(笑)一乗山城は、海抜473mの頂上付近に築かれています。

全く舗装されておらずで、行きは45分かかりました。傾斜もあるし道悪いし、何より高いし(当たり前ですね笑)、だいぶキツかったです。普通に息切れしましたよ。


看板がない場所や、看板案内がここの付近にあるよ!的なものもあるので、間違っていたらすみません。


↓不動清水

↓櫓

↓千畳敷。これ、一乗谷城本丸趾って書いてませんか?貰った地図には本丸跡があるなんて書いてなかったのはどうしてでしょう?

↓宿直と、ここからの景色

↓一の丸。ここらを登ったところにあるかもです。

↓二の丸。登れそうなところがあり、見てみると平坦な広場になっていました。

↓三の丸。長細く、少し広めな道になっていました。

この先も続いてそうですが、はい、そそくさと帰ります(笑)


あ、急な問題です(笑)ヘビはどこでしょう?笑

テレビだと、こういうツルを引っ張るとヘビだった!みたいなことありそうだな~

なんて考えながら、このすぐ先にあったのを避けようとすると、バタバタバタ!!と。タイミングもよかったので声に出して驚きましたよ(笑)たぶんセミですね(笑)


そんなこんなで下まで戻ってきました。帰りは35分。あれ?怖くなかったです。行きの道のりでは、細い道や急な坂も多くあったので、帰りが怖いな~なんて考えていたのですが…(笑)でもよかったです。


富田勢源道場跡もありました。


資料館、まさかの無料でした。ラッキー。


自転車に設置できるバックがほしくて、自転車屋さんを尋ねました。やっぱりすぐにできるいい方法はありませんでしたが、一緒になって考えてくれました。ありがとうございます。


ボルガライスを食べました。


紫式部公園に行きました。一年余りを越前市で過ごしたそうで、これを記念して造られました。平安時代の貴族の住居を模した、全国で唯一の寝殿造庭園です。


寝床までの最後の道のりが山道だったのですが、少し薄暗くなっていて、急にガサガサって鳴ってまたびっくり(笑)シカでした。久しぶりに出会いましたよ。今朝はクマの目撃情報もあったので、急ぎ早に上りました。大したことないんだけど、着いた頃には汗でびしょびしょになってました。


そうそう、途中でクワガタ見つけましたよ。道路でもがいていたので、木に逃がしました。

知らないところで

恐竜博物館。昨日のうちにここから2kmくらいのところまで来ていたので、すぐに到着しました。

↓この恐竜動いてるんですけど、それを見てギャーギャー子どもが泣いてて、そりゃあ怖いよなぁ~とか思いつつ、その反応も可愛かったです。

↓実物でかっ!って普通に驚きました。恐竜が絶滅していなかったら、平穏な生活やここまで発展しなかったのかな?なんて(笑)

↓突然のタラコ唇(笑)唇ではないんですけどね、そう見えますよね(笑)

↓化石のクリーニングも見られました。

来るか迷っていましたが、見るところも多くて2時間半くらいいて、来てよかったです。


看板を見てわざわざ声をかけてもらい、久しぶりに日本一周仲間に出会いました。時間が合えば一緒にお酒でも!と思ったのですが残念...。またどこかで会えたらいいですね。良い旅を~


称念寺に行きました。

ここは、明智光秀と細川ガラシャの縁の地でもあります。城を落とされ放浪としていた光秀は、妻と一緒に称念寺を頼りました。門前に家を建て、寺子屋で教えながら、朝倉への仕官活動を行っていたそうです。この時期に娘の細川ガラシャが生まれました。


新田義貞のお墓もあります。苦しむ民衆を見て立ち上がり難攻不落の鎌倉幕府を倒した新田義貞は、九頭竜川ほとりの灯明寺畷の戦いで戦死してしまいます。

称念寺の住職と古くから交友を深めていたので、その首を討たれた遺骸は時宗のお坊さん8人にかつがれて手厚く葬られました。


福井城は、徳川家康の二男・初代福井藩主・結城秀康が築城しました。約270年間17代にわたり越前松平家の繁栄の舞台となった名城です。


北ノ庄城趾と柴田神社。

日本最大級の城であった北ノ庄城、柴田勝家により築城しました。賤ヶ岳の戦いに敗れて妻のお市の方と自害し、廃城となりました。

↓公園内には、勝家、お市の方、三姉妹の銅像がありました。

↓九十九橋は、北陸道と足羽川が交わる地に架けられた橋ですが、江戸時代には半石半木の珍しい橋として全国的にも有名でした。半石半木とは、橋の南半分が石で、北半分が木で造られるという構造のことを意味しています。

↓モテ祈願というのもありましたよ。


福井駅。ここにも恐竜がいました。


教えてもらったお店です。オープンの17時前には着いたのですが、だいぶ並んでいました。

↓左から、純けい、若どり、しろ

↓あぶら

↓しんぞう


そういえば、‪Aqua TimezやTwitterでつながりのある方から連絡がありました。たまたま自分のいる場所の近くにいたらしく、もしかしたら会えるかも~なんて考えてくれていたみたいです。結局会うことはできませんでしたが、それだけでも相当うれしいです。

自分の知らないところで考えてくれる人がいるって幸せなことですね。‬

悔いの残らないように

日中はすごい暑いのに、朝方はまだまだ肌寒いことが多くあります。寝るときの服装などが難しいですね。


福井県に入りました。


そして、東尋坊まで向かいます。ほとんど平坦な道でしたが、東尋坊付近だけ少しアップダウンがある程度でした。

着いてから東尋坊セットで、ソースカツ丼とおろしそばを食べました。

あれ、めちゃくちゃブレブレでした(笑)


いよいよ、自殺の名所としても知られる東尋坊です。

今から1200~1300万年前にマグマが堆積岩の中に貫入して冷え固まった時に出来た柱状節理です。ちなみに、六角形の形をしているのが大きな特徴だそうです。

どうせなので先まで行ってきました。天気もよく、海も穏やかでしたが、先まで行くと迫力が違いました。何が一番怖かったかという、戻るために振り返る時です。

↓雄島です。


丸岡城、霞ヶ城の天守閣は、現存するものの中で日本最古です。

天守の中は三階建てになっていて、その階段がえげつない角度でした(笑)これから行く人は覚悟した方がいいですよ。


『お静の涙雨』という逸話がありました。

初代城主柴田勝豊が丸岡城築城の際、天守閣の石垣が何度も崩れるので人柱を入れることになりました。そこで、子をかかえて苦しい生活をしていたお静が、子を侍にしてもらうを条件に人柱となりました。

その後、丸岡城は無事完成しましたが、柴田勝豊は近江長浜へ移ることとなり、結局、お静の子は侍にはしてもらえませんでした。

それから、田植えの準備の頃になると、堀から水があふれるほど雨が降るようになり、人々はこれを「お静の涙雨」と呼ぶようになりました。


日本一短い手紙の館はお城と資料館との共通券だったので、行くことにしました。

日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」

この手紙は、徳川家康の忠臣・本多作左衛門重次が、長篠の合戦での陣中から妻に宛てて送ったものです。短い文章の中に大事なことが詰まっています。この「お仙」とは、後の初代丸岡藩主になる本多成重の幼名・仙千代のことです。ちなみに原文は、「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」だそうです。

館内には全国から募集した作品が展示されていました。時間がなかったので、急ぎ早に一つひとつ読んだのですが、笑ってしまうものやジーンとくるものなど、短い中に気持ちが込められていました。


そして資料館にも行くと時間はあと少しで17時。明日以降の予定を考えたのですが、行くか諦めるか20分くらい迷っていました。

いつ死んでもいいように、精一杯生きる。この前、先生に教えてもらったことを思い出しました。

いつか行こうと思って、もし仮に明日死んだら悔いが残る。いつ何が起こるかわからないんだから、体力、やる気、恥じらいなどを理由に後回しにするのはバカらしいですね。

いつかやろうじゃなくて、一度だけの、自分の人生なんだから、思ったようにやればいい。やらないで後悔するより、やって後悔する方がよっぽどマシで、次に活かせますもんね。今できることは悔いの残らないようにやる方がいいなってことで、明日行くことにしました。そのために、今日のうちに近場まで移動しました。


そうそう、細かく曲がらなきゃいけない道で、ポケット内で音声案内を聞いても、車が通ると全く聞こえなくなるので、こういうのを百均で買ってみました。元々ハンドルに携帯を固定できるものは持っていたのですが家に置いてきたんです。でも、これだと携帯だけでなく、ペットボトルも入れられるから便利だなと。