日本一周の旅〜カルぺ・ディエム〜

元保育士が、自転車で日本一周します!

京都観光

アップ遅くなりました。すみません。

‪泊めていただいた方がお祭りの関係者で、祇園祭の準備のお手伝いをさせてもらえることになりました。自分にできることは運ぶくらいだけど、貴重な体験ができました。‬

‪飾りの説明も教えてくれて、普通じゃ入れないところまで行かせてもらったり、相当なお宝を間近で見たり、少し触らせてもらったり...感動です。時間が経つのがあっという間でした。


‬ちなみに、宇治川の合戦の際の僧兵・筒井浄妙と一来法師の先陣争い(橋合戦)に由来しています。筒井浄妙が先陣争いで一番乗りしようと橋桁を渡ろうとした際、後から来た一来法師が「悪しゅう候、御免あれ」と言いながら筒井浄妙の頭の上をひらりと飛び越え、一番乗りを果たして先陣を取ったそうです。


↑奥の方で持っている薙刀は登録をしてある本物だそうです。また、周りに飾られている織物が相当なお宝です。

↑お守りも頂きました。ありがとうございます。


‪手伝いも終わって、観光しました。‬


本能寺跡です。ここは本能寺の変の舞台となった場所です。足利義昭を奉じて上洛を果たした信長は、京都には居館を構えず、本能寺や妙覚寺を宿所とさていました。

その本能寺に宿泊していた信長と妙覚寺に宿泊していた織田信忠を、明智光秀の謀反により襲撃されました。寝込みを襲われて包囲された信長は脱出を諦めて自刃し、信忠は二条御所に退いて戦ったがやはり自刃しました。


晴明神社。ここは、安倍晴明が亡くなったあと、邸宅があった場所に晴明神社が建てられました。羽生結弦も来たそうです。


京都御所。京都市の中心部に位置し、古都京都の心臓とも言える場所で、これまで歴代の天皇が居住し、政治を取り仕切った場所です。

ちょっと広すぎてどこを回ればいいかわからず、また砂利道であまり自転車を走らせたくなかったので、とりあえず京都御所と仙洞御所を外から見たのですが、中を見れそうな気配がなさそうなので次の場所に移動しました。


現在の本能寺。秀吉の都市計画によって区画整理を名目に移動しました。

焼失することが多かったようで、「能」の字の作りが「ヒヒ」ではなく「去」になっており「ヒが去る」という意味で字をかえているそうです。

↑本殿

↑信長公廟


京都駅と京都タワーです。


少し遅めですがお昼ご飯と思ってようやく見つけたお店でしたが、着いたのがオーダーストップ3分後でギリ入れず...。お店を調べて探すのがめんどうになったので、結局なにも食べませんでした(笑)


伏見稲荷大社に来ました。観光客めちゃくちゃ多かったです。

↓本堂

↓千本鳥居です。この鳥居の数は圧巻ですね。

↓千本鳥居以外の場所もたくさん鳥居がありました。景色もよかったです。

↓一ノ峰上神社蹟。当初ここまで登る予定ではなく、てか山登りだとは知らず、急遽山頂まで歩きました。観光客も多くてなかなか進めなかったり、写真を撮るタイミングで人が少なくなるのを待ってたりしたら、35分もかかってました。


教えてもらった居酒屋さんに行きました。

↓ビール

↓月の桂、旭米

↓ポテサラ

↓ホルモンのピリ辛煮込み

↓カニカマ一本揚げ


締めに焼きみそラーメンを食べました。ここは、滋賀で泊めていただいた方が経営する、働いているお店で、ご馳走になりました。ありがとうございます。

またまたありがたい出会い

泊まらせてもらった場所は、借りて住んでいる人がいて、その方とお話しました。この家の近くは、明智光秀が本能寺の変後にここら辺まで逃げてきて、近くで最期を迎えたそうです。いろいろ説はありますが、そんな場所だったんですね。

また、差し入れも頂きました。ありがとうございます。


比叡山延暦寺に行きました。根本中堂まで登山して、帰りはケーブルカーで帰ることにしました。

さて、登山です。始めと終わりは整備されていましたが、途中はただ広く足元の悪い砂利道みたいな感じが続いていました。たぶん行き先は一緒なんだと思いますが、どっちに進めばいいのかわからない分岐もいくつかあり、困りましたよ(笑)45分かかって登りきりました。


比叡山延暦寺は、山頂に東塔・西塔・横川の3つのエリアがあり、それらの総称が延暦寺です。

最澄が建立したと言われ、法然や親鸞、日蓮など、多くの僧が、延暦寺の修行から育ったそうです。

↓根本中堂。まさこの工事中...。中に入っての参拝できます。

信長による焼き討ちされ、今の建物は徳川家光が再建したものです。

↓出世大黒天堂。秀吉も、開運と福徳を祈願した故事もあります。

↓大講堂

↓日本一長い坂本ケーブル。2025mもあるそうで、そこからの景色も最高でした。


京都に入りました。天気もめちゃくちゃよくて、道路の気温表示を見ると40℃ありました。でも、そんな暑く感じませんでしたよ。


元離宮二条城に来ました。徳川家康が大阪冬の陣・夏の陣の軍議を開いたところです。また、徳川慶喜が勝海舟と差し向かいで会談し、大政奉還を行ったところでもあります。

↓唐門

↓大政奉還は二の丸御殿の大広間で発表したほうです。ここで、265年間続いた江戸幕府は終焉を迎えました。

二の丸御殿の廊下は、鶯張りというらしく、歩くと鳥の鳴き声みたいに鳴り響いていました。

↓本丸櫓門

↓天守閣跡

↓本丸御殿


二条城の周りは、自転車に優しかったです。



次にどこ行こうかと考えていると、話しかけてくれる方がいて、泊まるとこないならうちのとこ3.4日自由に使っていいよ!と。ビルのオーナーさんらしく、事務所を使わせて貰えることになりました。なんていい世の中なの...。ありがとうございます。

ありがたい

昨日から近場で待機していた観音寺城に行きます。日本五大山城の一つです。ちなみに、ここが終われば残り月山富田城を登れば、日本五大山城は制覇なんですよ~。島根だからまだまだですけどね(笑)


で、この観音寺城は、近江国の守護・佐々木六角氏が築いたお城で、繖山全体を城域とする、日本最大規模を誇る山城でした。

戦国時代には、六角義賢・義治親子の居城でしたが、信長が上洛する際、この辺りの城を攻撃していくのを目の当たりにすると、観音寺城を放棄して廃城になったそうです。


いよいよ登っていきます。しかし、入口がわからず...。

聞いてみると、ここからだと無料で入れると教えてもらえたのですが、さすがにこの整備されてなさそうなところを歩き続けるのは辞めておきました。


入山料がかかってしまいますが、このルートで行きました。

しかし、途中から道がなくなっていき、険しい道を...。草ボーボー、くもの巣だらけ、最後は砂利道...酷すぎる(笑)

なぜそのまま行ったかというと、その先に開けた道が見えていたからです。案の定、舗装されていた道路が待っていました。この道は木陰が一切ありませんでした...。

あとから聞いた話では、今は使われていない道だそうです。ちゃんと通行止めって書いてあればなぁ(笑)

そして下から15分で桑實寺に到着です。


ここからさらに15分で本丸に向かって登りました。

階段になっているところも多く、ある程度の整備はされていたので、楽に登れました。

本丸近くには、井戸跡がありました。

そして本丸です。

その先がわかれ道になっていて、観音正寺やぐるっと回れる跡地に行こうと思ったんですけど、まさかの草ボーボー...。

まぁ地図を見ても本丸以外行かなくてもいいかなって場所だったので、撤退しました。

そこから降りるまで15分。桑實寺からちゃんとしたルートを教えてもらい、楽に降れました。


その後、スタンプをもらいに、安土城城郭資料館に行きました。中も入り、展示物的には少ないのですが、よく作られていて見応えありました。


大津駅まで行きました。

向かうまでの道は信号が多くて、いい感じにスピードに乗ってる時に信号に捕まることが頻繁にあったせいでなかなか思うように進めませんでした。


以前、Aqua Timezのメンバーがライブ後に食べに来たというお店で、近江塩鶏麺と烏骨鶏の卵かけごはんを食べました。


腹ごしらえもして、京都に入ろうと思ったのですが、比叡山延暦寺に行くのを忘れていました...。滋賀にあるんですね、勘違いしてました...。どっちからでも行けるみたいですけど、もう一日だけ滋賀にいて、明日登ります。

明日のルートなどいろいろ予定を練っていると、家族が話しかけてくれました。写真を撮り、飲み物を頂きました。

そして話の流れから、もう一つ家があるんだけどそこ泊まるか?と。お言葉に甘えて、泊まらせてもらいました。

しかもまた差し入れを頂きました。

ありがとうございます。


そういえば、その子どもたちが可愛いくて可愛いくて、一緒に遊びたかったなぁ(笑)