日本一周の旅〜カルぺ・ディエム〜

元保育士が、自転車で日本一周します!

どっちかにしてほしい

朝から、雨が降ったり止んだりでした。ずっと降っているなら諦めがつくんですけど、こう微妙な天気だと、どうせなら濡れたくないと考えちゃうので、正直どっちかにしてほしいです(笑)


そういえば、朝会った方と話していたら、昔、昨日行った根城の博物館で働いてる方とのことでした。橋が今年できたばかりということや、馬の模型の一つが発掘で見つかった骨から300万くらいかけて作ったこと、当時の血筋の子馬がいる場所のことなど、裏話的なことをたくさん教えてもらいまし、はた。これ、先に話を聞いて見学できたらより楽しめましたね。またいつか行った時の楽しみにとっておくことにしましょう。


ご飯の美味しいとこを教えてもらい、そこに行きました。聞いて来たはよかったんですけど、何時間待った?ってくらい待ちました(笑)ガチめに2時間は確実に待ちましたよ(笑)

これだけ待ったことも相まって、本当に美味しかったです。食べたのは、平目の漬け丼とせんべい汁のセットです。


お腹いっぱいになって、お店の外を見たら、青空の見えるいい天気になってました。ここ最近ずっと山沿いを走ってきてたので、今日は海沿いにしました。

そして、やっぱり景色きれいだなぁ!なんて軽快に走っていたら、2000km超えそうなの忘れていて、とっくに超えちゃってましたよ(笑)まぁこういうこともあるか(笑)


で、気になるところを発見したのですが、時間的に閉館していたので、諦め、天気もまた崩れかけていたので移動しました。今日は移動メインで進んだので、これと言って他に観光はしてません(笑)


あ、途中、大きなガンダムが飾られていましたよ。これ作ったんですかね?すごい。ファンからしたらたまらないんだろうな。

楽しい出会い

大きな橋の下にテントをはって寝ていたのですが、恐らく風で流れてきた雨、湿気、葉っぱの水滴などなど、いろんな理由からテントが濡れてしまいました。そのまま入れるとカビたり臭くなるので乾くまで待機。くもりだったのでなかなか乾かず時間ロス。結局テントをしまって行動したのも15時半過ぎでしたが、いい休憩になりました。


根城と、隣接する博物館に行きました。閉館まで残り1時間のことでした。急ぎ早に見ました。

根城は、南部師行に築城されたお城です。約300年間、八戸地方の中心だったそうです。


本丸には鍛冶工房もありましたが、職人さんも出入りできるのはちょっと不思議ですね。確か、だんだんと広く大きく増築していったみたいに書いてあった気がしたので、そういうのが理由かもしれないです。

生活することとして利用していませんが、竪穴式住居もありました。イメージでは縄文弥生時代だったので、はじめ目に入った時は驚きました。


観光し終わったら晩ごはん時で、フラフラ歩いていると、「みろく横丁」というものを見つけ、急遽飲みに行くことにしました。

お店に迷ってたら、お兄さんが話しかけてくれて、ライダースハウスのある場所とかいろいろ教えてくれて、何かあったら連絡してって。優しすぎます。

自転車を脇において何往復かしていましたが、お店がいっぱい並んでいて、どこもよさそうので、優柔不断なのもあってなかなか決まりませんでした(笑)

途中、お店の中から店主さんに、空いてるよ!って言われて入ることにしました。何かきっかけがほしかったのかも知れません(笑)

入った瞬間、周りの方がみんないい人で、気さくに話しかけてくれたから、すぐに楽しい飲みになりました。地元に来たら連絡してとか、泊めるよとか、優しすぎます。みんな本当にノリがよくて、こういう絡みやっぱいいです。

飲みの場だから出てきたのかもしれませんが、会話の中で、がんばったって100年くらいしか生きられないんだから悩むだけ無駄!くだらないことが大切!と教えてもらいました。

少し経ったあと、お店で仲良くなったこのメンバーでカラオケに行くことになりました。みんな歌うまいし盛り上がって楽しかったです。朝まで一緒にいたいレベルでした(笑)

お兄さんは訳あって途中退場。緊張するだろうけど、がんばってください。

でまぁ、会計の時にいろいろトラブルがありまして…気分転換に、最後に一件飲み直しました。飲んじゃえば、気持ちもまた楽しくなり、そして深い話もしました。

年齢も地元も違い、たまたまあのお店で出会ったメンバーでしたが、みんないい人たちでほんと楽しかったです。ごちそうさまでした。ありがとうございました。

そして自転車のある場所に戻ったら、ハンドルのとこに100円が置いてありました。誰かが置いてくれたんですかね?ありがとうございます。

寄り道しながら移動

青森に入るため長距離移動ですが、夕方から雨が降るという予報なので早めに出発。朝から寒かったのですが、山道だと思っていたので暑くなるだろうと思って薄着でいました。そしたらアップダウンはあるものの基本下りで、進む分には楽だったんですけど、服装失敗しました(笑)


今日は移動しかしない予定でしたが、見つけたものを寄り道をしつつになりました。九戸城→三戸城です。


最初の九戸城跡でいろいろ教えてもらいました。

九戸城は、秀吉の天下統一最後の戦場だそうです。小田原攻めの一年後にあったらしい。

当時、南部は、南部信直と九戸政実の二大勢力が対立していました。南部信直は、秀吉に本家であることを認めてもらい、九戸政実は謀反人となり、九戸征伐と称して全国に出動命令を出されました。

そこには、豊臣秀次、徳川家康、伊達政宗、石田三成、蒲生氏郷、上杉景勝、浅野長政、井伊直政など、有名な戦国武将がたくさん出陣していました。

戦いがはじまり、九戸政実側はだいぶ戦力差はありましたが、難攻不落と言われるほどよく戦っていました。

秀吉側は、和睦交渉をしようと九戸の菩提寺である長興寺の和尚を使者にたてました。持たせた手紙の中で、政実の武勇を讃え、人々の助命を条件に降伏を説得しました。

謀略とは知らない和尚であり、南部信直もまた、一人でも多くの人を救おうと和睦に応じ開城しました。しかし、城は焼かれ、皆殺しにされてしまいました。そして、九戸政実と重臣は豊臣秀次に三ノ迫で斬首されました。和尚の気持ちもそうだし、秀吉はそれだけの威厳を見せなきゃいけないのかもしれないけど、そこまでやるかと。

九戸城の近くにある岩谷観音堂には、九戸政実や戦没者の建立碑がありました。この観音堂のご開帳は100年に1度のみだそうです。

↑これは岩が崩れ落ちてきたんですかね…?


岩手と青森には、一戸、二戸、三戸と続いて九戸までありますが、そもそもこの名前になった理由は、九戸四門制により、一から九までの番号をふってそれぞれに牧場を置くことからついたそうです。

四戸という地名は今はないようですが、縁起的にだったり長細く管理がしづらかったりと、理由があるそうです。

ちなみに、金田一温泉の裏山に四戸城跡があり、橋や店名で残ってるとこもあるそうです。そして、十は十和田かもしれないし、一番奥が奥戸かもしれないとのこと。


そして、青森県入り。

そういえば、青森に向かう途中に金田一温泉というものがあり、これはなにか事件の匂いが…なんて考えていたら、読み方は「金た一」なんですね(笑)惜しい(笑)


三戸城は、標高120mの高さで、キツめの坂を一気に登って到着しました(笑)

ここは、南部晴政によって築かれた城。南部晴政は素行が悪く、周囲からの評判も良くなかったそうです。ちなみに本丸跡の周りには、たくさんの家臣の家跡に囲まれていました。


日本鹿もいました。


八戸に行く頃には霧がかかってきていました。


無事到着して、晩酌。