日本一周の旅〜カルぺ・ディエム〜

元保育士が、自転車で日本一周します!

山口観光②

関門トンネルを通っていよいよ本州です。

一人で写真撮影をしていると、撮ってあげようか?と声をかけてくれ、撮ってもらいました。

山口県の下関です。


今日は、長府藩侍屋敷長屋→長府毛利邸→功山寺→東行庵に行きました。


長府藩侍屋敷長屋は、長府藩の家老である西家の分家の本門に附属していたものです。重厚な構造や仲間部屋格子窓と呼ばれる格子窓の形態などは、上級藩士の屋敷の趣を残しているそうです。


長府毛利邸は、長府毛利家14代当主、元敏によって建てられました。

↓明治天皇も宿泊したことがあるようです。


功山寺は、長府藩祖である毛利秀元の菩提寺です。また、毛利元就に追われた大内義長が自刃した場所でもあり、高杉晋作が奇兵隊からも賛同されないまま、伊藤博文率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊ら、わずか80人程度で挙兵した地でもあります。
↓総門

↓山門

↓仏殿

↓高杉晋作の回天義挙像

↓長府毛利家のお墓

↓大内義長のお墓

↓龍馬を政治的に支援した長州藩士・豊永長吉のお墓

他にも、龍馬の護衛を務めた長府藩士・三吉慎蔵、龍馬の盟友であった長州藩士・三吉慎蔵、龍馬を助けた長府藩家老・三吉周亮のお墓がありました。


東行庵は、当初、山縣有朋所有の建物で『無隣庵』と名付けていました。晋作の死後、遺言により遺骸を奇兵隊の本拠地に近いこの地に葬り、伊藤博文、山縣有朋、井上馨など、全国諸名士の寄付により『東行庵』が建立されました。

↓晋作の像

↓晋作のお墓

↓梅處尼のお墓。おうのは晋作の側室で、晋作が維新回天の事業に尽くして東奔西走する際も良き伴侶となり、ある時は幕府の追跡の白刃をも共にくぐったこともありましたが、晋作没後は出家して梅處尼と名乗り、東行庵初代庵主となりました。


その後は、山口駅に着き、

真っ暗になりながらもなんとか寝床にたどり着きました。


この寝床までの道のりで、ほっこりすることがあったんです。
横断歩道を渡ろうとした時に信号が赤だったのですが、押しボタン式(ボタンを押さないと青にならない信号)で、なんの気なしに押して、すぐに青になったから渡ったんです。向かいからシルバーカーを押して歩いてくる人がいるのが見えていたので避けながら走っていたら、道路の真ん中辺りでおばあちゃんに、「ボタン押してくれてありがとうね!」ってお礼を言われたんです。ただ自分のための行動だったのに。こんな些細で当たり前のことにでも、感謝の気持ちや温かい気持ちが生まれるってすごいことですよね。小さな幸せを見つけられる人ってすごいことだなって思いました。今、怒ったり泣いたり笑っていなくても、生きているってことが、幸せなんだってことなんだなって。心が温かくなりました。こちらこそありがとうございました。


久しぶりに友達と電話をして、お酒を飲んでから寝ました。

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